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Q and A
日本海の呼称の由来とその範囲を教えてください。イエズス会の宣教師マテオ・リッチが1602年に作成した古地図「坤輿万国全図」において、「日本海」の名称を使ったのが最初です。 ここでは、日本列島によって太平洋から縁海として切り離された形状のみならず、「日本海」という名称がはっきりと記載されています(マテオ・リッチは明国に永く滞在しており、坤輿万国全図は漢字で記載されています)。 その後、この海域についての呼び名として西欧の地図ではOriental Ocean、 China Sea, Korea Sea等の名前も用いられますが、西欧各国による極東地域の知識が蓄積されるにつれて、日本海の形状が正確に把握されるとともに、名称も「日本海」を意味するものに収斂していきます。 江戸時代後期になると、鎖国していた日本の周辺にも外国船が頻繁に出没するとともに、日本に対し通商を求めたり薪や水等の補給のための立ち寄りを求めました。 これに対し、幕府は外国船打ち払い令(1825年)を出して鎖国政策を維持しようとするのですが、この時代の西欧によって作成された地図では、ほとんどが日本海を意味する名称が用いられています。 また、日本でも蘭学者等により外国で出版された書籍が翻訳されて紹介されるようになり、日本海という名称が定着していきます。 この日本海について、どこまでをその範囲とするかについては、四つの海峡(対馬、津軽、宗谷及び間宮)で線引きするものをはじめ区分する目的によりいろいろな線引き方法があり確定的なものはありませんが、航海安全のため海図等の水路図誌の統一と普及等を目的として設置された「国際水路機関」が、海図等を作成する業務の便宜上“いかなる法的、政治的意味を含むものではない”として、世界の海洋と海の境界の線引きを行ったものがあります。 それによれば、日本海の範囲は北界を間宮海峡とし、南界は九州西岸から済州島をとおり朝鮮半島西岸端に引いた線で、ユーラシア大陸と日本列島に囲まれた海域としています。
参考文献
日本は領海の基線に直線基線を採用することとなったと聞きましたが、その直線基線について教えて下さい。平成8年7月20日「国連海洋条約」が発効し、これに伴い領海法の改正が行われ領海等の幅を測定する基線として新たに直線基線を用いることができるようになり、平成9年1月1日から施行されました。 これまで領海の基線は基本的には海水が一番引いたところ(低潮線)でしたが、条約によって海岸線が著しく折れ曲がっているとか、海岸に沿って非常に近い距離に一連の島がある場所では直線基線が採用できるようになり、政令でその基点の経度・緯度が定められました。直線基線は領海の範囲を測定する場合だけではなく、それに続く12海里の接続水域、排他的経済水域や大陸棚の幅を測定する際の基点となる重要な線でこの基線を採用することにより領海は基線から外側へ12海里まで広がり、基線の内側の内水を併せこれら全ての水域に我が国の主権が及ぶこととなりました。 ちなみに、この直線基線は全国で162本が定められています。 日本は島国といわれますが、その海岸線の長さと島の数はどの位あるのでしょうか。日本は北海道、本州、四国、九州といった四つの大きな島と沖縄をはじめとする大小6,852の島々から成り、約35,000kmの長い海岸線を有しています。 ちなみに、地球の一周の長さは約40,000kmです。また、長い海岸線を有している自治体のベスト3は、北海道、長崎県、鹿児島県の順で、島の数のベスト3は、長崎県、鹿児島県、北海道の順です。
レジャーボートでクルージングを楽しんでいる者ですが海技免状の更新手続き等について教えて下さい。
春分・秋分の日は他の休日と異なり毎年同じ日ではなく年によって変わりますがどうしてですか。 また、どのようにして決めるのですか。私たちにとって春分・秋分の日は、祝日で会社や役所が休みになることやお彼岸のお墓参りする日であったり、太陽がほぼ真東から昇り真西に沈む、また昼と夜の長さがほぼ同じであるといった知識程度ではないでしょうか。 しかし、将来の休日の確定が必要なカレンダーを作る会社や金利計算をしなければならない金融機関などにとっては大きな問題となります。では、どのようにして春分の日や秋分の日が決まるのでしょうか。 春分の日を例に説明しましょう。 地球を中心とした無限大の球を考え、これを天文学では「天球」と言います。 地球を南北に分ける大円である赤道と同様に天球を南北に二分する大円を天の赤道と言います。 この天の赤道と黄道(太陽の通り道で太陽はこの黄道上を西から東へ1年かけて1周する)は約23.5度の傾斜を持って交差しているので太陽は年に2回天の赤道を横切ることになります。 このうち太陽が天球の南半球から北半球に移るときに横切る点を「春分点」と言い、この点を通る時が「春分」になります(反対側の点線の交わる点が秋分点)。 この日を境に日本が位置する北半球は春を迎え次第に暖かくなります。 太陽は黄道上を春分点から春分点までの1周を平均365.2422・・・日かかって移動し、これが季節変化の周期となります。 私たちが現在使っている太陽暦(グレゴリオ暦)は平年を365日、閏年を366日とすることにより、1年の長さを平均365.2425日とし、季節の変化についていけるように工夫されています。 この結果、春分の日は毎年3月21日頃にやってきます。 しかし、ある年の春分の日が何月何日になるかは簡単には分かりません。 春分の日は太陽の中心が春分点を通過する瞬時を含む日と定義されているので春分点通過が午前0時近くで起きると日付の決定が微妙になり、極端な場合には、1秒違っても1日ずれることになります。 航海暦を作っている 海上保安庁海洋情報部 では数十年先までの春分・秋分の日の計算を行うことができますが、法令により 国立天文台 が前年の2月1日付けの官報で発表した日が公式のものとなります。 潮時表には満潮時や干潮時における潮高が示されていますが、これはどこから測った海面の高さですか。 また、潮高の基準面が平均水面下120cmというのはどういうことですか。潮時表というものは、釣雑誌社等が海上保安庁の許可を受けて海事関係者などが使用する海上保安庁発行の「潮汐表」から使用したい場所を抜粋して作った簡単なものです。 本来、潮汐表は、港に出入りする船に潮高の変化を知らせるために作られたもので、通常、船は港湾内のいろいろな場所の水深が、潮の干満によりどう変わるかを海図を見て判断しています。 海図には場所ごとに水深が記入されているのですが、その一つひとつの水深は、これ以上海面が下がらないと考えられる干潮時の海面を基準にして測られています. つまり、海図に記載されている水深は、その場所の深さが干潮時でもそれよりは浅くならないということを示しているのです。 日本海では特に海図の水深より浅くなることがあるので注意する必要があります。話が少し遠まわりしましたが、潮時表の潮高表示にも、同じ基準面を使っており、潮高の基準面と呼ばれています。 ただ、水深が基準面から下に向かう深さであることに対して、潮高は基準面から上の高さである点が違っています。 したがって、海図に記載してある水深に潮高を加えれば、その場所の満潮時や干潮時における海底から海面までの深さがわかるようになっているのです。
また、潮高の基準面が平均水面下120cmということは、基準面の上方120cmの所を中心にして、海面が上下動しているということであり、潮高から120cmを引くと平均的な海面(潮汐がない場合の海面)からの高さを知ることができます。
干潮時に海面上2mあると思われる岩場に乗った場合、満潮時には海面上の高さはどうなるのでしょうか。上記の応用問題です。 干潮時の潮高をL(m)とすると、基準面からの岩場の高さは2m+L(m)であり、次の満潮時の潮高をH(m)とすると、満潮時における岩場の高さは海面上、2m+L(m)−H(m)になります。潮時表が教えてくれる満潮や干潮の時刻は、海面が上げから下げまたは、下げから上げに変わる瞬間の時刻ですか。 たとえば、干潮時刻が10時50分の場合、10時51分には潮が反対方向に動き出すということですか。理想的には、そのとおりです。 しかし、潮汐の予報は方法により5分くらいの差を生じることや、気象の影響を受けることを考えるとき、10分程度遅れると考えたほうがよいでしょう。したがって干潮時刻が10時50分と示されているとき、干満差があるところでは、風が非常に強い時や海流の変動がはげしい場合などを除けば、10分後の11時には潮が動きだすと考えてよいでしょう。 大潮、小潮、若潮とは、どんな状態をいうのでしょうか。 旧暦と潮回りについても教えて下さい。ご存じのように、潮の干満は月の満ち欠けの形、換言すれば旧暦にしたがって潮高や時刻が変化していきます。新月(月が太陽と同じ方向にあるときで夜を通して月は見えない)や満月の前後は、干満の差が大きく大潮と呼ばれており、上弦(月の右半分が光った半月の状態で、夕方西に傾く頃弦を上にした弓のように見える)または下弦(月の左半分が光った半月の状態で、朝方西に傾く頃弦を下にした弓のように見える)の頃は干満の差が小さく、小潮と呼ばれています。 旧暦でいうと、大潮は1日または15日頃、小潮は8日または23日頃ということになります。 潮差が一番小さくなる日も上弦や下弦の時期とは1日程度ずれており、上、下弦を1〜2日過ぎた頃は、干満の差が小さいために海面の変化がなだらかで、海岸でその変化を見ていても、干潮または満潮の状態がだらだらと続くように感じることがあります。 これが小潮の末期で、江戸期から漁師の間で長潮と呼ばれている時期であり、この日を境にして潮差が大潮に向かって大きくなっていきます。 したがって、長潮の翌日は潮が若がえって、次に動きの大きな大潮に移るということから、若潮と呼ばれるのです。 中潮というのは、大潮から小潮に至るまでの期間で、旧暦の3〜6日、18〜21日頃をこれにあてています。
なお,「MIRCマリン情報 > 潮汐情報」で表示される潮名は,月と太陽の黄経差(月の黄経から太陽の黄経を引いた値)から割り当てています. 詳細はこちらのページを御覧下さい. |
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