日本列島周辺の海底
その1 日本海溝及び付近
海溝などの深海にまで調査の手が届くようになったのは大正時代になってからである。この時代の測深は錘によるもので、精度そのものは今日の音響測深機によるものに比べようもないが、それなりに深海の海底地形を明らかにしてきた。1934年には、潜水艦を使用しての重力測定が行われ、日本海溝においてもインドネシア海溝と同様に負重力異常帯のあることが確認された。
極深海音響測深機を搭載した最初の近代的な海底地形調査は、1957年の明洋(初代)による日本海溝南部の調査であろう。1958年に深海調査委員会が組織され、この計画(1959〜1966)のもとに、凌風丸(気象庁)が中心になって活躍した。この計画には多くの機関から研究者が参加し、地磁気、地殻熱流量などの測定も行われた。
1960年代になると、地球内部開発計画(UMP)、日米科学協力などの計画により重力や人工地震による地殻調査も行われるようになった。その後も多くの機関が日本海溝の調査に従事した。白鳳丸(東大海洋研)、海鷹丸(東水大)、東海大II世号、拓洋・明洋(海洋情報部)、白嶺丸(地質調査所)などが活躍した。調査の内容も、地形、地磁気、重力、音波探査、地殻探査、試料採取などと多岐にわたった。
1976〜77年の昭洋(海洋情報部)の測量による、鹿島第1海山の日本海溝への沈み込みの発見は、プレート境界での大洋側のもぐり込みを実証するものとして話題となった。
1977、1982年、国際深海掘削計画(IPOD)によるグローマー・チャレンジャー号(アメリカ)の掘削が三陸沖で行われ、親潮古陸の発見や日本海溝に伴う付加体はあっても小規模であることを示すなど、多くの知見をもたらした。
現在では、マルチナロービーム測深による精密海底地形測量とマルチチャンネル音波探査による地殻調査が進展中で、いずれ近いうちに海溝全域にわたりより詳細な地質構造が明らかになるものと思われる。潜水調査船を活用した実証的な調査研究も今後益々重要になってこよう。
日本海溝とその付近の海底の特徴は、陸から海側に、大陸棚、大陸斜面、海溝(海溝陸側斜面、海溝軸海盆、海溝海側斜面)、海溝周縁隆起帯(海溝から大洋底への移行部)に区分できる。
大陸斜面上には、一般にその外縁部に基盤の隆起部がある。この隆起部の背後の海盆は新規の堆積物で充填されており、深海平坦面を形成する。
海溝陸側斜面には、しばしば小規模な高まりを伴う棚上の地形(ベンチ)が認められ、ここを境に海溝斜面は上部斜面と下部斜面に分けられる。ベンチは、中新世末以降における東北日本弧の隆起と、一方では海溝軸での沈み込みに伴う海溝側への沈下との蝶番線(ヒンジライン)に当たる。海溝下部斜面では特に下方に押し下げられることから、斜面の勾配は急になり、ここには斜面崩壊に伴う湾状の窪地、谷筋、盛土などの地形がみられる。
海溝海側斜面から海溝周縁隆起帯にかけては、ほぼ海溝軸に平行する多くの狭長な凹地が発達している。これは地溝状凹地であり、地溝を造る断層は、地形の表層のみならず基盤となる玄武岩層をも切っている。これらは海溝周縁隆起帯の成長と共に形成されたもので、海溝海側斜面地域に特有の地形である。この海域が広く伸張域にあたることを示す。地溝を伴う玄武岩層は海溝軸のところで海溝陸側斜面下にもぐり込み、その角度は、三陸沖の海溝軸直下で5°、海溝軸の西100kmで14°である。
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