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日本列島周辺の海底

その4 日本海

日本海はその殆どがユーラシア大陸と日本列島に取り囲まれた縁海であり、外洋には、宗谷海峡、津軽海峡、対馬海峡を経て通じる。外洋への出口はいずれも国際海峡である。最深部は日本海北東部にあり水深は約3,700mである。一様に深いと思われていた日本海の中央に浅所(大和堆)が発見され、その地形がおおよそながら明らかになったのは1924年のことである。大和堆の地質学的研究は、Tsuya(1932)、新野(1933)などに始まる。堆積物の柱状試料の採取は、1955年、旧ソ連のヴィチャージ号に始まり、その後、東大海洋研究所の白鳳丸(1969)、アメリカのコンラッド号(1969)、ビーマ号(1971、1975)などが続き、多くの試料がもたらされた。試料に含まれる微化石の群集解析と酸素・炭素などの同位体比の分析から、後期更新世以降の日本海の海況変遷が次第に明らかになってきた。

地球物理関係では、1960年代中頃から始まる清風丸(舞鶴海洋気象台)をはじめとした精力的な地磁気測量と地殻熱流量測定は、特筆に値するものであろう。人口地震による地殻調査は1950年代後半から旧ソ連の科学者によって始まり、日本が調査に乗り出したのは1960年代中頃以降である。地質構造に関する知見は、大幅な音波探査手法の導入によって著しく進展した。当初の調査線は密度の粗いものであったが、やがて密になるとともに地形、地磁気、重力なども含めた総合的な調査となった。例えば、1967年以降の明洋(海洋情報部)の大陸棚および同斜面の調査、1977年以降の白嶺丸の地質調査所による広域調査がこれにあたる。このような調査は現在も精度を高めて進展中で、調査の成果は各種海洋図として出版されている。この他、沿岸部を中心に資源調査のための探査、試錐なども行われ、一部資料も公表されている。また以上のほか、旧ソ連科学者による各種の調査も多い。最近では、日口科学協力事業が地震探査をはじめとして広く行われている。

日本海東縁部は、新たなプレート境界と目され、特に1983年日本海中部地震(M7.7)、1993年北海道南西沖地震(M7.8)などは、このプレート境界での断層運動を示すものとして注目を浴びた。1989年の日本海掘削(ODP127,128節)では、日本海盆東縁部と大和海盆から基盤岩と目される玄武岩類が採取され、日本海の形成時代が明らかにされた。

日本海の誕生は、3,000万年より若いと推定されている。今見られる日本海の海底地形は、主に後期鮮新世以降の大規模な地殻変動とそれに伴う地形の再配置によって形成されたものである。

日本海の地形は次のように大別できる。(1)日本列島沿岸海域の大陸境界地 (continental borderland)、すなわち小規模な海底山脈(海嶺)と海盆とが複雑に組み合って分布する海域、(2)大陸性地殻からなる大和海嶺、朝鮮海台などの高所、(3)日本海北部などに代表される深海盆(日本海の最深部は東縁にある)。

北海道西岸から山陰沖にいたる沿岸海域の地形の特長は、富士舟状海盆を境に東北日本と南西日本とに分けられる。東北日本の大陸縁辺部は、断層と褶曲構造とで複雑になっている。これに対して南西日本は、構造運動上からは比較的静穏な海域であった。このことは後期鮮新世〜初期更新世における浸食面が、大和海嶺、隠岐海嶺の頂部と縁辺台地を構成する第四紀堆積物の基底に保存されている。

大和海嶺と朝鮮海台からは花崗岩類が採取されており、これらの地塊はかつての大陸の一部を構成していたものである。

深海盆として、日本海盆、大和海盆、対馬海盆がある。しかし、3,000mに達する深海盆は日本海盆だけである。深海盆には幾つかの海山があるが総じて平坦である。日本海盆底は玄武岩からなり、13〜24Maの時代が得られている。

日本海東縁部は、構造上最も活動的な地域であり、ここには強い圧縮を伴う地殻の収斂が生じている。この収斂帯は、新潟地震、日本海中部地震、北海道南西沖地震などM7級地震の震央とその余震域から追跡が可能である。この地帯は、奥尻海嶺、最上舟状海盆から新潟平野に入り、信濃川河谷へと続く。南端は糸魚川ー静岡構造線に達する。

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